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50年ぶりの階段

 忙しい中,いつしか7月も下旬を迎えました。お盆が近づいてきましたのでお参りを始めました。ある初めてのお家を訪問しました。「お寺さんへ 仏壇は2階です。階段を上がって左側の部屋です」と張り紙があります。その階段を見た瞬間・・・思い出しました。それは私が通った保育園の階段です。実は噂には聞いていましたが,その建物は移築されたものだったのです。私が通った保育園は小学校の端っこにあり,1階は小学校の宿泊施設でした。ですから保育園には階段を上がる必要がありました。なぜか登る感じで思い出しました。踊り場があり90度ずつ曲がって登ります。解体後持ち帰られ,自宅にされたと聞いていました。柱にはラインがあり,子どもの字があります。それにしても50後に再びあのときの建物を見ることができるとは?感激でした。

日本人のいないお店

 全く個人的な都合で身内の不幸のため,横浜へ行くことがありました。なかなかの大都市ですが特徴があり素敵な街です。ちなみに私の母親の生まれた街です。夜遅くに到着しフロントで紹介されたラーメン屋さんに行って帰りにコンビニによりました。「いらっしゃいませ!」という元気な声に視線が店員に向かいます。なるほど一目で日本人でないことがわかります。インド系の方でしょうか!というより全員インド系ですね。3名の店員全員日本人ではありません。私の知り合いの話では店長さえも日本人でなくて良くて,片言の日本語でも募集はあるとか。その言葉を目の当たりにする感じです。

 先日も人材派遣会社の営業でベトナム人の話がありました。すでに現実的ですが,サービス業では明らかに進んでいます。

 「おつり\650です。ありがとうございました!」

少し肌の色が違うだけでなんら問題の無い対応でした。働き手が極端に減っていく日本ではこの風景が普通になるんでしょうね。

山中鹿之助「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」

山中鹿之助(1545815??1578820)という戦国の武将がおりました。戦国時代から安土桃山時代にかけての尼子氏家臣です。尼子十勇士の筆頭で尼子家再興のために願わくば、我に七難八苦を与えたまえ三日月に祈った逸話で有名です。長男とされる山中幸元(鴻池新六)は父の死後、武士を廃して摂津国川辺郡鴻池村(現・兵庫県伊丹市)で酒造業を始めて財をなし、のちに大坂に移住して江戸時代以降の豪商鴻池財閥の始祖となったことも知られています。大手ゼネコン「鴻池組」の始まりです。実は私が生まれ育った,現在も生活する「徳雲寺」には山中鹿之助のお墓があります。といいましても鹿之助の墓はあちこちにあります。この徳雲寺にあるものは「首塚」と伝わります。家来が掘って持ち帰ったという伝えです。徳雲寺は実際最後の尼子の殿様,尼子勝久が育ったお寺となっています。ですから縁は深いわけです。

ところが伝え聞くだけで私たちは史実を見たわけではありません。しかしながら,いまでも多くの人がこっそりとお参りにやってきます。定期的にお参りになる方,噂を聞いてやってくる方様ざまです。あるとき電話がありました。

「私は山陰のものですが,山中鹿之助のお墓ありますよね。家来の墓もあるはずですが,名前がわかりますか?」

「お墓はひっそりと住職の世代墓の脇にあります。確かに二基ありますが,家来の方の名前はわかりかねますね」

「そうでしょう!名前は証せなかったはずです・・・」

家来の子孫の方でしょうか。たしかに不思議な雰囲気の寂しいながら,存在感のあるお墓があります。

先日も時間の都合で昼間にお寺に帰りましたら,女性が3名お参りです。どうも歴女かなにかわかりませんが,山中鹿之助のお墓にお参りでした。あちらこちらに存在するお墓の中で一番霊感を感じるとか?!そこはまったくそういったものを感じる能力の無い私には理解できませんが,死後450経過しても人となりを慕われているとすれば,なんと幸せなことですね。それにしても我に七難八苦を与えたまえ“の台詞はインパクトがあります。すごいですね。なかなか言えません。鹿之助とそのお参りされる方には頭が下がります。お時間のある方はどうぞお参りください。ただしご案内しないとわかりにくい場所にあります。たしかになんとも言えない雰囲気の場所です。

 

ぽんぽこ山 7月14日

 今年も714日NPOやわた創生プロジェクトが主催する「ぽんぽこ山夕涼み会」が開催されました。小規模保育所として再生して14ヶ月一応無事運営できています。関係者とお客様をお招きして150の参加で暑い夏の夜を楽しく過ごすイベントです。たこ焼き・焼き鳥等の焼き物・ポップコーン・おでん・大山おこわ・おもちゃ・お菓子・ドリンク類・ソーメン等を用意してお迎えしました。アトラクションは歌のお客様とどじょうすくいです。

 子どもたちは元気に自分たちの役目を果たし,周囲の大人たちが見守りながら育っていきます。暑い夏です。この広島の山の奥でもこの暑さです。どんな夏になるのか,はたしてもう災害はないのか,静かで穏やかに過ごせることを希望します。

 周囲から賑やかな集まりを眺めながら,かつて何度も経験した「納涼祭」を思い出しながら暑い夏を乗り切りたいと思いました。

 

土用の丑の日

 駐車中の自家用車に乗り,エンジンをかけると外気温「43度!?」と驚きの数字です。7月にして40度近い気温を全国的に記録しています。はたしてどんな猛暑になるのか,もう想像できません。豪雨による被災者及び被災地での支援活動には厳しい状況です。

 「暑さ」というと,この時期土用の丑の日が話題になりますが,2018年は720日と81日です。ウナギさえ食べる元気があるのか心配ですが。それでも山の中の朝は違います。昼間はどこも同じで,本部東寿園まで歩く2~300mさえも川沿いの道が地面から熱さが伝わってきますが,朝は涼しいですね。特に早朝は気温20程度ですから快適なものです。やはりこの快適さは失いたくないものです。

 

七夕の願い事

7月も中旬に入っています。いつしか梅雨も明け暑い夏がやってきそうです。暑さの中での避難生活は大変と拝察申し上げます。気づいてみれば「七夕」も過ぎています。そう言えば,通常の景色では笹竹に願いを書いてつるしてありました。ユニットを回りながら,ついつい願い事を見てしまいます。

みんなが健康で過ごせますように 少しでも元気になれますように 世界が平和に平穏に過ごせますように・・・いろいろあります。

Kさんの三日めがスムーズにいきますように! 職員N???

「これは何ですか?」

「ですからスムーズになることを祈っています!」と職員Nさん。

「それってお通じですか?もしかして?」

「はい,共に祈っています」そばで笑うKさん。

「はあ,七夕の願いにお通じは初めてです。もっと大きい願いが良いですね」

「となりにもっと大きくあります宝くじが当たりますように K」

「はあ,極端な願い事ですね。どっちの願いが良いか迷います。通じますかね」というやりとりです。

すっかり七夕の行事も忘れていました。少しでも静かに平穏に過ごせますようにと願います。

川のゴミ

 77は七夕です。ですが・・・全国的な大雨は広範囲に及び甚大な被害を与えました。特に広島県ではいまだ全容がつかめていませんが,死者と行方不明者を合わせると100名を超えそうな状況です。私たちの町,庄原市東城町も市街地が床下及び床上浸水があり,連日掃除に追われています。

 私たちの施設の南側に道を挟んで一段低い土地がありますが,ここは地元のグランドゴルフ場として使用されていますが,一部川に浸かり,多くのゴミが残りました。地元の方と一緒に掃除しましたが「」等の自然ゴミとは別に目立ったのは「ペットボトル」と「発砲スチロール」です。あれだけ毎月ゴミ拾いを続けながら,缶やペットボトルは多くないはずなのにどうしてこんなに上側から流れてくるのか??考えました。実は支援活動に行って気づきました。人の生活にはゴミが多いのです。自宅でも同じですが「いつか捨てよう」「そのうち持ち込もう」というゴミが袋に入っていたり,箱に入っていたりしています。そしてそのゴミは家の周辺の外にあります。そこは安全と言うより不要なものですから,不用意に置かれています。つまり水にさらわれそうなところにあるのです。やはりゴミは増えています。1件でも川の上側にあればゴミは流れてくるということではないでしょうか。

 それから木のゴミも多いですね。橋には多くの木材がかかっています。これもすごい量です。報道では雨がやんでも二次災害で川の氾濫なども伝えられています。いつしか気づかないうちに梅雨が明けました。熱い夏になりそうです。

7月6日法人創立記念祭当日

「7月6日」は社会福祉法人東城有栖会にとって,重要な1日です。昭和47年の養護老人ホーム東寿園の開所日です。つまり法人創立記念日です。そこで毎年「記念祭」と称して「勤続10年職員表彰」を行います。これはあくまで勤続10年の職員さんのみです。今年も担当役員さんを中心に当日の準備が進みました。

 ところが・・・前日からの全国的な大雨です。避難勧告も出る事態で,朝から学校等の状況を確認しながら,早々に「中止」を決定しました。表彰を受ける予定の方にはまことに残念でした。しかしそれどころではありません。雨は午後からさらに雨量が増え続け,気になるのは「風の街みやびら」の隣りを流れる東城川の水位ですがどんどん上がります。6~7mはあるはずの高さも気づけばあと3mあまりです。濁流がどんどん奥から流れてきます。枯れ木のみでなく生木も流れ来て,橋脚に音を立てながら当たります。下川に東城の市街地がありますが,中心部が低いだけに心配されます。どうも記念祭どころでなく,余りに心配なので私は泊まり込むことにしました。雨雲レーダーでは22時頃まで雨が続きそうです。川が氾濫してはたまりません。かといって今更介護度4以上の方と逃げる先もありません。残った職員が帰り,夜勤者が来るまで待ちました。市内放送でも道の分断情報が流れています。神石高原方面,帝釈方面,八幡方面,粟田方面からやってくる職員さんの中には分断されて来れない人も出始めました。逆に帰れない人も出ます。もう泊まることを勧め,災害に備えることとしました。「特別警戒情報」がけたたましく流れます。行政や関係者からは「避難」「被害」についての問い合わせが入ります。そうしている中に,避難希望されるご利用者も出てきました。定員や居室などと言っている暇はありません。受け入れます。なにしろ「記録的豪雨」です。暇を見ては川を見に出ます。見るたびに水位は上がり,もう見たことのないところまで水は来ています。あと1mかなと思いながら下川の宮平橋に目をやると,すでに橋の欄干にしぶきがあたり,対岸は超えそうです。最悪の備える必要があります。状況については定期的に所属職員にメールしながら22時を迎えました。すこし雨量が減った感じです。横になっても寝れるわけもなく,ネットを見ます。

 23時を過ぎて,解錠し点灯していた玄関自動ドアが開きました。「こんばんは!被害ありません?」隣家の方々がおそらく泊まり込んでいると考えて安否訪問に来られました。「水位は下がってますよ」と話されます。少し安堵したら夕めし食べてないことを思い出しました。冷蔵庫をあさり温めて食べて浅い眠りにつきます。

 早朝施設内外を自分で確認して,すさまじい水量にあらためて驚きながら,帰宅前のメールを打ちました。被害は出ていると思います。御見舞い申し上げます。またこれ以上に広がらないことを願います。

 

ライバル店の行く末

 東城の町にはコンビニがあります。これまで3店舗ありましたが,このほどローソンが開店しました。こうしてみると約500m以内の距離に4店舗あるわけです。あくまでも中心部にあるだけで町の大部分はそんなコンビニの恩恵にあずかれる地域にありません。それでも過疎地ではコンビニが重要な役割を果たしています。広く浅く品揃えがあり便利です。たしかある調査ではコンビニからの距離が住みよさを示していると考えて,コンビニのカバーしている人口を一覧表にしたものがありました。今後4店舗が維持できるか関心があります。

 そう言えば,ある街の回転お寿司のお店のとなりの業務用スーパーが閉店していました。先日通りかかると衝撃な出来事として,その場所にあのライバルのチェーン店の看板が立っていました。なんと回転寿司が2店舗並ぶことになりそうです。それでも結果は当面集客が見込めます。「ひとまず行って入れる方に入ろう」となります。しかしながら最終的には優劣がついて,どちらかが撤退ということになりそうです。

 最近の報道で,約20年前に巨大なイオンのモールができるから,その街に引っ越して終の棲家にしようとした人たちが高齢になった現在,経営不振に陥ったイオンが撤退して,住みにくくなるという事態が起きているという九州の話題がありました。すでにイオンの進出により,小売店はすべてつぶれ,最終的にイオンもなくなり,街から人も賑わいも消えたという事件です。競争原理の行き着く先がこうなるんでしょうか。

 

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